ドイツにある小さな街・ハーメルン。
そこには古くから語り継がれる、謎のお話がありました。
グリム童話のなかでもひときわ不気味な光を放つ、『ハーメルンの笛吹き男』についてお届けします。
この記事で分かること
- 童話『ハーメルンの笛吹き男』のあらすじ
- 童話に込められた教訓
- ドイツで起きた実話説
童話《ハーメルンの笛吹き男》はじまりはじまり
ドイツ北部にあるハーメルンは、小麦がよく実る豊かな場所。
こじんまりした綺麗な町で、人々は慎ましくも幸せな暮らしを送っておりました。
ところが1284年頃から、町全体を襲う大きな悩みを抱えるように。
わしハーメルンの町長。住人よりネズミが増えてて困ったちゃん…。
チューチュー。
気候も穏やか、小麦もいっぱい。
家もあって川もあるハーメルンは、ネズミにとって恰好の住処。
そうしていつからか、どこからか。
ハーメルンに沢山のネズミが入り込み、そら恐ろしいスピードで大繁殖していったのです。
ちょっ!パンとかチーズとか齧るなー‼︎
服も家具も、仕事道具もボロボロ…だと!?
増えに増えたネズミたちは、あっちもカジカジ、こっちもカジカジ。
おかげで被害は町全体に広がり、幼い子供や病人までもが齧られる事態に。
そこで住人たちは、あの手この手の策を講じます。
罠も毒ダンゴも仕掛けたけど、上手いことスルーしやがって。くっそー!
こうなったら、ニャンコやワンコ飼うしかないわね。
…と、どの家も対ネズミ用にペットまで導入。
ところがネズミの数が多すぎて、ニャンコもワンコも多勢に無勢。逆に追い回される始末です。
どうにもならないこの問題。もう何の策も思いつかん…
そんなある日のこと。
ハーメルンの町に、見慣れないひとりの男がやって来ます。
ネズミ捕り名人、あらわる
色とりどりのカラフルな服。
なんとも奇抜で派手な姿をした男の登場に、町の人々はちょっとビックリ。
うっわ…。あんな悪趣味な服、見たことないわ。
絶対この界隈の人じゃないよな。
そんな陰口もなんのその。
男は町に入るやいなや、こんなことを言い出します。
Youたち、ネズミにお困りやね?
え。あぁ、まぁ…。
いきなりネズミの話題を振ってくるとは、やっぱり胡散臭くて怪しさMAX。
そんな男は戸惑う住人をさらに畳み掛けるように、ある話を持ちかけます。
報酬くれはったら、ネズミ一掃しちゃるで。
なんと!それは本当かね!
ネズミに散々困らされ、もう打つ手がないハーメルンの町の人々。
彼らは胡散臭いと分かっていながら、ロクに考えもせず男にネズミ駆除を依頼します。
報酬は、1000ギルダーでええよ。
いや、一掃したら、その5倍は払おう!
こうして男と町の人々との間に、あっさり口約束の契約が成立。
すると男はさっそく作業に取り掛かり、ポッケから1本の笛を取り出します。
…ピーヒョロ ピーヒャラ♪ ピーピーピー♫
チュ!?チュチューチュー♪
男がおもむろに笛を吹き始めると…なんと笛の音に誘われてネズミがゾロゾロと。
しかも男が歩き出すとネズミたちがその後ろをついてくるという、不思議現象にまで発展します。
町のネズミが残らず出てきたことを確認した男は、そのままネズミを引き連れて郊外へ。
やがて川が見えてくると男は衣服の裾を捲し上げ、ネズミもろとも川に入っていきました。
人が溺れるほど深くはなく、されど小さなネズミにとっては相当深い。
男は笛でネズミを惑わせて、一匹残らず川で溺死させたのです。
うっそ。本当にネズミ居なくなったんだけど。
でもあいつ、笛吹いただけだよな。
あまりにも呆気なく、あまりにも簡単すぎたネズミ撃退劇。
それを見ていた町の人々は大喜び!…するも、急に手のひらを返しやがります。
ネズミ居なくなったでー。報酬はよ。
いやあれは、ネズミが勝手に溺れただけで…。
ワイの笛のおかげやん。
そんな証拠、どこにもない。報酬は払わんぞ!
ネズミが消えたのは、間違いなく男のおかげ、笛のおかげです。
なのに町長も町の人々も、どこの誰かも分からん男に報酬を払うのが惜しくなってしまったのです。
ネズミを一掃・報酬を払う。
単純明解な契約を反故にされた男は、黙ってハーメルンの町をあとにするしかありませんでした。
退治したのに、そりゃないぜ……
町からすっかりネズミが居なくなり、安心して暮らせるようになったハーメルン。
男は感謝の言葉ひとつもないままに、町を去らざるを得ませんでした。
…が、おめおめ泣き寝入りしたわけではありません。
黙ってはいたものの、男の怒りは相当なものでした。
…おまんら、許さんぜよ💢
…と言ったかどうかは知りませんが、男は後日、再び町にやってきます。
それはネズミ退治をしたあの日から、少しあとの1284年6月26日。
ワイの笛を舐めんなよ。
以前の派手な衣装とはうってかわって、渋い色合いの狩猟服姿で現れた男。
町にやって来たのは、朝の7時、いやお昼頃?
大人たちが礼拝のために教会に集まっていた頃合いに、男はまた町で笛を吹き始めたのです。
なんか楽しそうな音がする♪
行ってみようぜ!
町のあの道にも、この道にも。
男の笛は鳴り響き、家の中にいた子供たちが次から次へと引き寄せられるように出てきます。
その数なんと、130人。
ねぇ…うちの弟がいないんだけど。
う、うちの娘もいない!
大変だ…町から子供たちがみんな居なくなった。
そう。これはあの男の仕返しです。
男は得意の笛で、今度はネズミではなく子供たちを町の外に連れ出したのです。
町の大人たちがそのことに気付いた頃には、時すでに遅し。
いくら探してもどこを見回っても、子供たちは二度と帰ってくることはありませんでした。
ただ、足が悪くてついて行けなかった2人の子供、あるいは盲目と聾唖の2人の子供だけは町に残っていたそうな。
それでも一度に130人もの子供が消えてしまったハーメルンの町。
大人たちは我が子を失い、嘆き悲しむ日々を送ることになったとさ。
おしまい。
童話《ハーメルンの笛吹き男》の教訓
さて、こんな物騒なお話だった「ハーメルンの笛吹き男」
童話は民話や伝承から何かを学ぶという概念があるので、このお話にも教訓が込められています。
それは何かと尋ねたら…教訓はこんな感じ↓
- 人にモノを頼む前に、それでいいのか良く考えて結論を出しましょう
- もし約束や公約をしたならば、ちゃんと守りましょう
- 人の恩を仇で返すようでは、必ずバチがあたりますよ
- 知らない人に、ホイホイついて行ってはなりませぬ
「ネズミを村から一掃しましょうか」
…と、町の住人や町長の同意を得て、報酬ありきという契約の元で行動を起こした笛吹き男は、言うなれば誠実な男です。
そんな彼にイチャモンつけて、約束を反故にした町の人々は、まさに不誠実そのもの。
出来なくて困っていることを、出来る人が解決したなら、それで良いじゃない。
…良いわけがありません。
自分と比べていとも簡単にこなしたとしても、出来る人は出来る人なりに労力も時間も費やしています。
さらに言うならば、出来るようになるまで努力した経緯もあるはずです。
人が出来ないことを出来るってことは、それだけで立派な価値があるんです。
なのに「簡単そうにやったから」「やっぱお金とか払うの勿体ない」
ハーメルンの町の人々は、今で言うクレクレに似てますね。
というか単なるクレーマーですね。
住人たちを反面教師に、人としての在り方を見つめ直せ。
…というのが童話《ハーメルンの笛吹き男》に込められた教えです。
そしてもう一つ。
グリム童話バージョンだけに込められた教訓も↓
なぜグリム童話の場合だけの教訓かというと、その後なんども改編されたから。
「笛吹きが子供をさらい、子供達は二度と戻って来なかった」
…という結末が非人道的すぎるとして、概ねハッピーエンディングになるようイジられました↓
結末その①笛吹き男は住人の説得で子供を解放した
結末その② 町長が思い改めて報酬を支払い、笛吹き男は帰って行った
結末その③ 笛吹き男は子供たちに危害など加えず、町民に感謝されつつ町を去った
結末その④ 子供を拐う気満々の笛吹き男を、町ぐるみでやっつけた
結末その⑤ 子供たちは拐われたのではなく、嘘つきも意地悪もいない幸せな国に行っただけ
…と、これでお子さまにも安心な読み物に。
笛吹き男の行為からみる、「仕返し復讐するべからず」の教えも大事だと思うんですけどね。
まぁこのお話には教訓云々よりも、もっと驚愕の裏話 があるんです。
童話《ハーメルンの笛吹き男》実は実話?
舞台となったハーメルンは、現在のドイツ北部・ニーダーザクセン州に属するハーメルン自治都市にあたります。
架空の都市ではなく、実在する場所です。
そして物語の中で、「130人の子どもたちが一斉に町から消えてしまった」という衝撃的な出来事は、1284年6月26日に起きたとされています。
この設定、なんだか引っかかる気がしませんか?
よくある童話の始まりは、「昔むかし、あるところに…」です。
時期や場所が不明確なものがほとんどのはずなのに、日時も場所も明確。
つまり笛吹き男のお話は、現在のハーメルン自治都市で実際に起こった昔話という実話説があるんです。
…ただし、こんな風にも呼ばれています↓
あたかも本当のようでいて、本当にホントなのか分からない話。
実話の証拠と言われるものもあるけれど、マユツバな部分もあったりします。
実話と言われる由縁
引用:wikipedia
「ハーメルンの笛吹き男」が実話と言われるようになったのは、1300年ごろから。
ドイツ・ヘッセン州の州都ヴィースバーデンにある、マルクト教会のステンドグラスが実話説のきっかけです。
そのステンドグラスには、こんな説明文が添えられています。
Anno 1284 am dage Johannis et Pauli
war der 26. junii
Dorch einen piper mit allerlei farve bekledet
gewesen CXXX kinder verledet binnen Hamelen gebo[re]n
to calvarie bi den koppen verloren— http://www.triune.de/legend
この説明文を日本語に訳すと、こんな感じ↓
1284年、聖ヨハネとパウロの記念日
6月の26日
色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男に
130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され
コッペンの近くの処刑の場所でいなくなった
引用:wikipedia
コッペンとは、「丘」を意味する古いドイツ語Koppenのこと。
ハーメルンの街を囲むようにいくつかの丘があり、そのひとつで居なくなったと記されています。
ただし具体的にどの丘なのかまでは、はっきりしていません。
そうなってくると、ちょっと信憑性に欠けますね。
しかもこのステンドグラス、1660年に1度破壊され、ハーメルンの郷土史家ハンス・ドバーティン氏によって復元されたもの。
ますます実話の証拠としては胡散臭く感じますが、ハーメルンに残っていた文献に基づいて復元してあります。
- 事件が起きた日付は1284年6月26日
- 色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男の存在
- ハーメルン生まれの子供たちが、一度に130人も行方不明
- コッペン丘近くの処刑場で消えたという証言
…と、信頼できる複数の文献から見つかった記録は、ステンドグラスの説明文そのもの。
「笛吹きが子供をさらい、子供達は二度と戻って来なかった」
…というグリム童話の結末は、単なる作り話ではなく紛うことなき事実だということが判ります。
マルクト教会にあるステンドグラスは、歴史的な大事件を後世に伝え残すために作られた、実話の証拠なのです。
都市伝説と言われる由縁
「ハーメルンの笛吹き男」のお話には、ちょっと偽りがあります。
上等な服を着た笛吹き男が130人の子供をゴッソリ連れ去った…というのは、どの文献にも記載されているので、その点は実話です。
ただ、ハーメルン事件についての最も古い文字資料、「リューネブルクの手本書」に、ネズミの話は出てこないんです。
「ネズミを退治したから報酬を」「はて、なんのことやら」「子供たちが消えたー!」
…という展開は、読み物として成立するよう後付けされたもの。
それだけでなく、ハーメルンにはこの事件以前の記録がありません。
史実と異なるネタ、事件を機に始まったハーメルン史。
この辺りがマユツバっぽいので、都市伝説扱いされるようになったのです。
子供たちはどこへ?
次第に都市伝説化した「ハーメルンの笛吹き男」には、大きな2つのミステリーがあります。
笛吹き男何者なのか、子供たちはどこへ消えたのか。
その答えは諸説あり、あれやこれやと時代背景を汲んだ解釈がなされています。
子供たちは事故死説
事件が起こった1284年6月26日は、「ヨハネとパウロの日」という夏至祭りの日。
ハーメルンではこの晩、ポッペンブルク山に「夏至の火」を灯す風習がありました。
大人の真似をして山に火を灯そうと、コッソリ子供たちだけで夜道をテクテク。
しかしポッペンブルク山には切り立った崖と、その真下に底無し沼がありました。
列になって歩いていた子供たちは途中で足を踏み外し、次々と転落死・または沼で溺死…というのが、日付から導かれた仮説です。
子どもたちがナゾの奇病説
子供たちは踊りながら、笛吹き男の後をついて町から居なくなります。
これは自分の意思とは関係なく、身体が動いてしまう「ハンチントン舞踏病」に違いない。
しかしハンチント舞踏病は、大人になってからの発症率が高い遺伝性の奇病です。
大人じゃなくて子供たちが、しかも130人まとめて発症…というのはちょっと無理がある解釈です。
ただしハンチントン舞踏病は、現在でも指定難病8の常染色体優性遺伝の病気。
突拍子もない与太話かというと、そうでもない仮説と言えます。
子供たちは感染病で亡くなった説
事件が起きた13世紀は、ドイツ国内の人口が大幅に減った時期です。
その原因はペストと言われる黒死病。
ペスト菌に感染すると1週間以内に発症し、皮膚が内出血して紫黒く変色。治療しなければ60%〜90%が死に至るという恐ろしい感染病です。
その感染ルートはペスト菌の宿主となるネズミなどの齧歯類で、当時のハーメルンもネズミが大量発生。
免疫力が低い子供たちがペストに罹患し、町から追い出すように隔離され、治療もなく130人が死亡した…とも考えられました。
笛吹き男については実在する誰かではなく、ペストを運んできた死神というオチになってます。
子供たちは十字軍遠征へ
11世紀〜13世紀のフランスやドイツでは、キリスト教聖地・エルサレム奪還のための「十字軍遠征」が行われていました。
中には10代の少年少女で結成された「少年十字軍」もあり、ハーメルンの子供たちは自ら志願。
もしくは奴隷商人に売り飛ばされて、戦死や帰還不能になったと考えられました。
この仮説は、「ハーメルンの笛吹き男」のお話と時代背景から推測。
身体の不自由な子供だけが村に残った理由は、少年十字軍には健康体の子供しか入れなかったから。
あながち間違いではない根拠があり、笛吹き男は十字軍指揮官または奴隷商人だという話です。
子供たちは開拓移民説
当時のドイツでは、町として人が住める場所が限られていました。
…となると当然、人口過多で食料不足・インフラパンクでおちおち住んでいられません。
そこでドイツを離れ、ポーランド・ルーマニアなどの東欧地域への移民が盛んに。
すると子供たちは貴重な労働力として誘拐される事件が頻発し、ハーメルン130人行方不明はその最たる成功例ではないか?という…。
実際、トランシルバニア(現在のルーマニア)の「キルヒャー見聞録」という中世の資料に、それらしき記載が残されています。
『突然、聞いたこともない言葉を話す子供が大量に現れた』
ルーマニアはルーマニア語なんですが、ジューベンビュルゲンという町には古いドイツ語を話すドイツ系ルーマニア人の方々が多く住んでいるそうで。
その方たちは失踪したハーメルンの子供たちの子孫、そして笛吹き男は移民開拓団のリーダーもしくは誘拐犯とも言われています。
…とまぁ、ナゾだらけの未解決事件なので、解釈も様々ありますね。
そのどれもが好き勝手なガセネタではなく、ドイツ中世史を研究する歴史学者が導いた仮説です。
笛吹き男は何者なのか、子供たちはどこへ消えたのか。
真相は未だ闇の中ですけどね。
「ハーメルンの笛吹き男」についての研究は今も続き、その第一人者はなんと日本の歴史学者・阿部謹也氏。
ドイツの歴史に関するさまざまな資料を研究してきた経験から、丁寧で分かりやすい解説書籍を出しています。
「ハーメルンの笛吹き男」の物語に、俄然興味が湧いたあなたにおすすめの1冊です。
…ということで、グリム童話『ハーメルンの笛吹き男』のお話をお届けしました。
注目すべきは説教じみた教訓よりも、史実という部分があるということ。
事件の詳細は未だ解明されていませんが、ドイツ・ハーメルン自治都市には物語をイメージする観光名所がいくつも存在します。
マルクト教会のステンドグラスはもちろん、旧市街には笛吹き男が立ち寄ったといわれる建物も。
さらに130人の子どもたちが通ったとされる道は、「舞楽禁制通り」と名付けられ、音を立てずに静かに通るよう義務付けられています。
また、定期的にマルクト教会の周辺で「ハーメルンの笛吹き男」の演劇上演もあり、子供たちがネズミの格好で登場。
大人にも子供にも、何世紀にも渡って語り継がれてきたのが「ハーメルンの笛吹き男」のお話です。
恩を受けて仇で返すようなことだけは、人としてしないよう肝に銘じておきたいと思います。
忘れかけていた童話のひとつを思い出す、お手伝いになれば恐悦至極にございます。
血塗れグロあり・精神的なグロあり・ネズごっそりのグロもあり。
童話ハーメルンの笛吹き男をモチーフにした、なんとも鬱な韓国映画についてもお届け中↓
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