大正時代の北海道。
まだまだ原始林野が広がる開拓中の苫前郡で、野生熊による人喰い事件がありました。
7人が死亡・3人が重症を負った、日本史上最悪の獣害事件【三毛別羆事件】について解説いたします。
この記事で分かること
- 三毛別羆事件の詳細とその後
- [オマケ]世界最悪のクマ事件について
⚠️ここにご注意ください⚠️
クマが人を襲って喰う…というショッキングな内容です。
マイルドな表現を心がけていますが、苦手な方はソッとタブを閉じていただけると幸いです。
【三毛別羆事件】場所は北海道・苫前
時は大正4年(1915年)、開拓真っ只中の北海道苫前。
マサカリで原始木を伐木し、ひとくわひとくわ丹念に土地を開墾する開拓民の家族らに、恐ろしい悲劇が迫ります。
- 初めて異変を感じたのは、11月初旬
- 苫前村三毛別の池田家で、馬がヒヒーンと激しく壁を蹴って大暴れ
- 主の池田富蔵は、様子を見に屋外へ
- すると軒先に吊るしたトウキビ(トウモロコシ)が散乱
- ついでに大きすぎるクマの足跡を発見
明治から大正にかけ、原野の開拓が盛んだった山間部。
野生動物が出るのもトウキビが盗まれるのも、当時はわりと日常茶飯事です。
池田富蔵も「いつものこと」と、さして気に留めることもなく。
しかしトウキビを漁ったのは、冬眠に失敗して飢えきった、巨大なヒグマ だったのです。
11月30日、ヒグマの再来と逃亡
初めて池田家に現れてから約20日後。
あのヒグマが再び餌を求め、池田家の軒先の吊るしトウキビを物色。
悠長に構えていた富蔵も、二度あることは三度あると、流石に危機感を募らせます。
そうして彼はクマ退治のエキスパート、マタギを2人雇うことに。
- 一人は開拓集落の若いマタギ・金子富蔵
- もう一人は三毛別のベテランマタギ・谷喜八
- 彼らが張り込みを続けた数日後
- 11月30日の午後8時過ぎ、巨大ヒグマが出没
- 池田家の軒先で立ち上がり、トウキビに手を伸ばしていた
マタギのベテラン・谷は、相方である金子に「まだ撃つな」と合図。
しかし金子は合図を無視して、ヒグマに銃を発砲してしまいます。
- 夜の闇の中、ヒグマに被弾したかどうか全く分からず
- ベテランの谷は、即座に状況判断して2発目をお見舞い
- すると巨大なヒグマは転げるように逃亡
- 谷か金子のどちらかの銃が命中。山方面にヒグマの血痕と足跡が
このまま一気に仕留めたいのはヤマヤマですが、いかんせん一寸先は闇状態。
ーー怪我を負っているのなら、そう遠くまでは逃げれまいーー
雇い主の池田富蔵は、マタギ2人にそのまま待機してもらい、翌朝あらためて追跡することに。
- 池田富蔵とマタギ2人、計3人で捜索を開始
- ところが鬼鹿山(366m)の三角点で、天候が荒れ地吹雪に
- ヒグマの足跡も血痕もかき消され、追うのが困難な状況に
- このまま進んだところで、バッタリ遭遇する危険が
- それだけでなく、自身らが途中で遭難する危険も
3人はやむなく追跡を諦め、三毛別の池田家に引き返します。
悪天候の邪魔も入り、あと一歩というところで仕損じた池田富蔵とマタギ衆。
しかしこの日を境にパッタリと、巨大ヒグマは池田家に姿を現さなくなくなりました。
12月9日、ついに犠牲者が
三毛別で池田家を三度襲い、マタギに撃たれて行方知れずとなった巨大ヒグマ。
もしや銃弾が致命傷に?
…というと、そんなことはなかったようで。
ヤツは再び、今度は三毛別の奥に位置する六線沢の集落に、ひょっこり出没するのです。
- 六線沢から三毛別方面へは橋を渡らねばならぬ
- 雪の影響で唯一の橋が通行止めになることも
- そこで各家庭から男手1人を募り、別の橋、氷橋作りに専念する年中行事が
- 氷橋作りの期間は、女房・婦女・子供らが家を守る役目
いつものように男衆の作業予定があった、12月9日。
この日、当番だった太田三郎は、内妻の阿部マユと朝からちょっとした口論となってしまいます。
- 太田夫妻には子がなく、知人の蓮見嘉七から6歳の男児・幹雄を預かっている
- 幹雄は太田夫妻にとても懐き、作業について行きたいと言い出した
- 三郎は幹雄可愛さに連れて行く気満々
- …だが、危ないからとマユが猛反対
そもそも幹雄は半ば強引に嘉七から預かり、春には蓮見家へ返すことになっています。
我が子同然とはいえ、ひと様の子。危ない目に遭わすわけにはいきません。
マユの圧しに折れた三郎は、下流に住む明景安太郎と連れ立って作業場へ。
そしてその道中、彼らは村松長助の畑のトウキビがヒグマに荒らされた跡を発見。
三郎は安太郎とともに、「あんな大きな足跡のクマ、さぞ食ったら美味かろう」と軽口を叩きます。
- その後、作業場でも大きなクマの話題に
- 誰ひとり恐怖せず、和やかに作業に勤しんだ
- その頃、留守番をしていたマユと幹雄がいる太田家に巨大ヒグマが出没
- 大声を上げたせいで刺激してしまい、幹雄とマユが犠牲に
はじめは太田家の軒先にぶら下がる、トウキビが目当てだった巨大ヒグマ。
マユや幹雄の悲鳴に驚き、敵と認知して2人を襲ったのでした。
- この異変に気付いたのは、太田家の寄宿人・長松要吉
- 要吉は、すぐさま三郎や男衆のいる作業場へ知らせに
- 一堂は太田家へ向かい、凄惨な現場を目の当たりに
- 幹雄は喉元を引き裂かれ、頭部には親指大の穴が
- そこらじゅうに燃え尽きた薪が散乱し、おびただしい血痕も
- しかしマユの姿は見当たらず、窓枠に彼女の髪が巻きついていた
幼い幹雄は、おそらく即死。
そして薪の散乱や広範囲の血飛沫から見るに、マユは必死の抵抗を試みた模様。
窓枠に髪が巻きついていたのは、巨大ヒグマが彼女を連れて窓から逃走した際に引っかかったのではないか…と。
あまりの酷さに阿鼻叫喚する男衆でしたが、巨大ヒグマの襲撃は、まだ始まったばかりでした。
【三毛別羆事件】12月10日、運命の日
「太田家に巨大なヒグマが現れて、女子供が襲われた」
この凶報はその日のうちに三毛別まで伝え広まり、界隈の集落は大騒ぎとなってしまいます。
- とにかく一刻も早く、マユを取り戻さねば
- そして一刻も早く、クマを討ち取らねば
- 周辺集落の男衆は、マユ捜索隊を結成
- さらに警察分署と苫前村役場に救助要請することに
- ただし分署は19km先、村役場は30kmも先
- 通信手段が整っていないため、歩きで往復2〜3日の距離
- この間、家族を置いて誰かが行く必要が
悲しみと恐怖が押し寄せる中、男衆は次なる犠牲者を出さないための準備を始めます。
捜索隊には、三毛別の池田家に雇われていた谷を含む5人のマタギ衆が参加。
彼らの他に、鉄砲持ちや長柄の鎌や刃物で武装した者たちなど、30人あまりが集まりました。
しかし分署と役場に向かう者が決まらず、くじ引きで決めることに。
- くじ引きで任命されたのは、太田家のすぐ川下に住む中川孫一
- どうしても気乗りしない孫一は、代わってくれぬかと斉藤石五郎に打診
- 石五郎は家族の安全を保証するなら、行ってもよいと
- 結果、石五郎が翌12月10日の早朝、六線沢を出発
- …と同時に、捜索隊も血痕を頼りにマユ捜索へ出立
太田家襲撃からわずか半日で、的確に動き出した集落の男衆。
その決断の早さが功を奏し、雪深い山の小高い場所で黒っぽい盛り上がりを発見します。
- 黒い盛り上がりはムクリと立ち上がり、巨大なヒグマとなって現れた
- 鉄砲持ちが一斉に射撃するも、発射されたのはマタギ・谷の一丁のみ
- 銃撃に逆ギレした巨大ヒグマは、近くにいた宮本由太郎と川端甚太郎をロックオン
- 他の者は脱兎の如く逃走。宮本&川端は絶対絶命のピンチ
- …だったが、落ち着いて不発銃を向け勇ましく反撃
- すると何故か巨大ヒグマは向きを変え、山の方へと走り去った
近くにいると警戒してはいたものの、かなりの至近距離で巨大ヒグマと遭遇してしまった捜索隊。
マタギ以外はド素人の集まりゆえ、みな逃げ帰ってしまうのも無理ありません。
その後、なんとか無事だった宮本と川端も集落へと引き返し、互いの無事を喜び合います。
しかし眼前で巨大ヒグマを見た捜索隊は、恐れを為して事実上解散に。
とはいえ、このまま放置するわけにもいきません。
もう陽が暮れ始める午後3時が差し迫った頃、思い改めた数人が現場に戻り、トドマツの陰で発見した「マユだったモノ」を回収します。
- 見つかったのは、紫の脚襦袢をまとったマユの両膝下
- …と頭蓋の一部・トドマツの枝に絡んだ頭髪少し
- その晩、太田家ではマユと幹雄の葬儀が
- ただ、参列者は近親者とわずかな知人の9名のみ
侘びやかに慎ましく行われた、幹雄とマユのお見送り。
六線沢の住民はみな家族同士で仲が良かったものの、ヒグマの再来を恐れてほとんどが参列せず。
そうして午後の8時半ごろ、恐れていた事態が太田家を襲います。
大きな物音とともに、あの巨大ヒグマが再襲撃。
幹雄の棺はひっくり返され、遺体が転がり家中めちゃくちゃに。
太田家はあっという間に大混乱に陥りますが、葬儀参列者は梁や屋根に登って辛くも逃げ切り、奇跡的に全員が助かります。
しかし腹が満たされていない巨大ヒグマは、更に恐ろしい凶行に及ぶのです。
12月10日、惨事ふたたび
引用 : travel.co.jp
マユと幹雄の葬儀が行われていた同じ頃。
太田家から500m下流の明景家では、救助要請に向かった斉藤石五郎の家族が避難しておりました。
- 明景家には、主の安太郎・妻のヤヨ・5人の子供
- 何かあった時の男手として、太田家寄宿人の長松要吉
- さらに斉藤家の妻で臨月のタケ・三男・四男
- 計11名が身を寄せ合い、朗らかに籠城
子供たちや皆が恐怖に押し潰されないように。
少し豪快な性格の斉藤タケは、ふくよかな脚を出して「私の脚なら食べ応えがあるだろう」
そんな自虐ネタで、みなの緊張を解きほぐします。
しかし、和やかムードも束の間。
あの巨大ヒグマが明景家に迫っていたのです。
- 太田家再襲撃から20分と経たない午後8時50分
- 巨大ヒグマは明景家の窓をぶち破って侵入
- 中に居た人々を襲い始め、斉藤タケは居間に引きずり出された
- 臨月のタケは、たまらずヒグマにこう叫んだ
- 「腹破らんでくれ!」「のど食って殺して!」
一瞬にして、地獄となった明景家。
悲鳴が飛び交い血飛沫が舞い、タケの叫び声も次第に弱々しく、いつしか聞こえなくなりました。
そう。巨大ヒグマは腹を破って胎児を引きずり出し、タケを上半身から喰い始めていたのです。
やがて異変に気付いた男衆が駆け付け、誤って生きている者に当たらぬよう空に向けて鉄砲を発射。
すると巨大ヒグマは玄関から退散し、裏山へと姿を消してゆきました。
《明景家での被害者》
結果この襲撃で被害に遭ったのは、明景家にいた全員。
胎児を含む12人のうち、5名が犠牲となってしまいます。
その頃この地獄を、家族の悲劇をまだ知らない斉藤石五郎は、無事に分署への通報と救助要請を完了。
石五郎の働きによって、ここから人間側の大々的な、報復とも呼べるヒグマ討伐作戦が展開されるのです。
【三毛別羆事件】12月12日、討伐開始
引用 : 北海道苫前町 公式HP
9日に初の犠牲者が出たことを受け、まずは六線沢から19km離れた分署に駆け込んだ斉藤石五郎。
彼の通報は即座に北海道庁警察部(元・北海道警察)の知るところとなり、所轄の羽幌分署で討伐隊編成が行われました。
- 本部は三毛別地区長・大川興吉宅に設置
- このとき明景家での地獄も把握することに
- 警察官による討伐隊はすぐに始動
- しかし林野に潜む巨大ヒグマ発見ならず
- そこで討伐隊は、ヒグマの習性を利用した作戦を打つことに
ヒグマの習性を利用した作戦。
それは獲物を取り返す習性に着目し、明景家に残された犠牲者の遺体を「餌」にするというもの。
もちろん遺族と住民に十分な説明をし、同意を得た上での実行です。
- まんまと「餌」に誘き寄せられ、巨大ヒグマが姿を現した
- …が、明景家の寸前で歩みを止め、周囲をグルグルしたのち森へ
- 今度は太田家の「餌」に釣られ、侵入まであとひと息
- …だったが、討伐隊によって射殺とは相成らず
動物、とりわけ野生動物は、人間より遥かに嗅覚などの感覚が研ぎ澄まされています。
あると分かっている「餌」を目の前にして、喰いつかないのは何故か。
どうやらこの巨大ヒグマは頭も良いようで、討伐隊による「餌」作戦は失敗 に終わってしまいました。
12月13日、再三の取り逃し
マユを喰い、タケも喰い、幼な子たちを瞬殺した巨大ヒグマ。
この行動から見るに、ヤツはすでに人間を獲物とみなしているため、是が非でも討伐しなければなりません。
しかし集落の男衆は失敗、警察官による討伐隊も失敗。
打つ手なしか…に思えた翌日の12月13日。
なんと国が動き、軍の一個隊が合流します。
- 大日本帝国陸軍・歩兵第28連隊の将兵30名が出動
- さらに、若い頃から名手だった老マタギ・山本兵吉を招集
- 六線沢は全住民を非難させ、無人状態に
- するとあの巨大ヒグマが姿を表し、無人の家屋に侵入・物色した痕跡が
人払いをし、ヒグマを自由に泳がせ包囲して射殺。
そんな算段で挑んだ歩兵連隊ですが、ヤツの居所を見失ってしまいます。
ところが警戒中の将兵が、その晩の午後8時ごろに三毛別と六線沢の境にある氷橋付近でヤツを発見。
鉄砲持ちの撃ち手が狙撃するも、巨大ヒグマは暗闇に紛れて姿をくらまし、またもや取り逃がしてしまいました。
12月14日、決戦の日
再三の取り逃しで、なかなか討伐しきれない日が続く中、翌12月14日に勝機が見え始めます。
実は昨夜の歩兵連隊の狙撃が命中し、巨大ヒグマのものと思われる血痕が見つかったのです。
- 被弾直後のため、今は動きがだいぶ鈍っているはず
- 歩兵連隊・討伐隊・老マタギの山本兵吉が巨大ヒグマ捜索へ
- ただし山本兵吉は単身別行動。山頂へ向かった
- すると頂上付近で大木に寄りかかる巨大ヒグマを発見
- 巨大ヒグマは連隊&討伐隊に気を取られ、山本に気付かず
ヤツが林野に身を潜めるように、山本も身を潜めながらゆっくりと、背後から20mの距離まで近づきます。
そうしてハルニレの木陰で立ち止まり銃を放つと、ヤツの心臓付近に命中。
不意を突かれた巨大ヒグマは、立ち上がって振り返り、山本を睨みつけておりました。
- 山本は、油断することなく二発目を装填
- 今度は頭部を貫通させ、見事射殺に成功
- ヒグマは重さ340kg・身の丈2.7m。推定年齢7〜8才の若い雄と判明
- その躯体は、胸に袈裟掛けのような金毛が混じる黒褐色だった
こうして約1週間、三毛別と六線沢に地獄をもたらし、7人を殺した巨大ヒグマとの攻防は幕を下ろします。
本格的な討伐が始まった12日からの3日間で投入した人員は、官民あわせてのべ600人。
同伴したマタギ犬と呼ばれる北海道犬は10頭以上、導入された鉄砲は60丁にものぼりました。
【三毛別羆事件】射殺のその後
老マタギ・山本兵吉によって討たれた巨大ヒグマの死骸は、集落の男衆によって里までソリで運ばれます。
しかし今日まで晴天続きだった天候が急変。
空は曇り雪が降り始め、やがて猛吹雪となってしまいました。
ソリを引く男衆は、この天候変異を「羆嵐」と呼ぶようになります。
- 悪天候ながらも、巨大ヒグマの死骸は無事里へ
- その後、三毛別の分教場(今でいう分校)へと運び、解剖
- ヤツの胃袋からは人肉と衣服の一部が発見された
- さらに解剖を見学していた者から、新たな証言が
なんとこの巨大ヒグマ、太田家を襲う数日前にも別の集落で人を喰っていた、と。
実は雨竜・旭川付近・天塩の三ヶ所で、計3人の女性が犠牲になっていたと言うのです。
実際、解剖中の胃の中から、それを裏付ける3人の衣服も見つかります。
つまりヤツは、幼な子を瞬殺したものの、喰ったのは成人女性ばかりということに。
解剖後、この巨大ヒグマがどうなったかというと、肉は集落の皆で喰って被害者を供養。
毛皮や頭蓋骨はそれぞれ人の手に渡り、現在は行方不明とのことです。
討伐直後の写真や剥製などの実物証拠は残されていません が、ヒグマと人間の関係性・当時の様子・事件現場など、苫前町の郷土資料館にて復元展示されています。
ただし4/30までは冬季休館中、5/1から再オープンの予定。
公式HPにて、詳細や注意事項についてご確認ください↓
[オマケ]世界史上最悪のクマ事件
引用 : wikipedia
さて。
日本史上最悪の獣害として有名になった『三毛別羆事件』
世界には、それ以上の犠牲者が出た世界史上最悪のクマ害がございます。
それが、インド南部で起こった『マイソールの人喰い熊』事件です。
- 1957年、インド南部マイソール州アシケレ付近
- 人々が暮らすエリアの岩場に、クマが巣作りを始めた
- クマの種類は、インドに多く棲息するナマケグマ
- 耳ホワッホワ、爪がナマケモに似ていることから「ナマケグマ」
体長160cm前後、体重120kgほど。
ヒグマより少し小さく、ぬいぐるみのような見た目のナマケグマは、普段はとても温厚な性格です。
ただし、ひとたび牙を向いたら交戦的、獲物の顔を中心に攻撃する習性があります。
- 近くに巣を作られては、安心して暮らせない
- 住人はアレコレ策を練るも、ナマケグマに効果なく
- むしろ昼夜問わず、人間にちょっかい出す回数が増えた
- 人との攻防でストレスMAXとなり、やがてナマケグマが豹変
- 人間に攻撃を加え始め、一帯は地獄絵図に
ナマケグマの襲撃で、顔面を完全に引き裂かれた者・鼻や頬や目をもがれた者など、重傷者が続出。
村では凶暴化するクマ討伐のため、伝説のハンターと呼ばれるケネス・アンダーソン氏に助けを求めます。
アンダーソン氏は過去に、インド南部ガンマラバー村で42人を襲ったインドヒョウを射殺した、その道のプロフェッショナル。
その他にも数多くの獣害討伐実績があり、ナマケグマ討伐も彼に委ねられることに。
- しかしアンダーソン氏はナマケグマを発見出来ず
- 危険を承知で巣の岩場に赴いても遭遇出来ず
- 一旦引き揚げ、また出没したら連絡を
- それから約1ヶ月後。ナマケグマが再び牙を剥いた
- ただし場所はアシケレから離れたサクレパトナ
- ナマケグマは、ここで3度も人を喰い散らかす凶行に
二度あることは、三度ある。
アンダーソン氏は三度目の襲撃を予感して、急いで現地に急行。
多くの者を襲ったナマケグマが現れるのを待ち続けます。
そうして夜の11時半過ぎ。
何かが木の根を掘っている音がし、アンダーソン氏は人喰いクマらしき個体を発見。
トーチで照らしてクマが怯んだ一瞬に、ウィンチェスターライフルの引き金を引いて見事討伐に成功するのです。
しかしアンダーソン氏が射殺するまで、すでに12人以上が喰われて犠牲に。
時系列など事件詳細に曖昧な点があるものの、世界史上最悪のクマによる獣害として、記録が残されています。
【三毛別羆事件】まとめ
野生動物がいるということは、自然豊かで住みやすい場所ということ。
そして昔の人々の開拓努力のおかげで、今の私たちは住みやすい環境で暮らせています。
その恩恵の裏には、こうした野生動物との駆け引きがあり、犠牲があったんですね。
昨今、クマは山に限らず市街地にまで出没するケースが増えています。
5月ともなると山菜取りに最適なシーズン。
…ですが、クマとの遭遇にも最適なシーズン。
三毛別羆事件は特殊な例かもしれませんが、ヒグマは人を恐れながも、獲物として狙い喰うことがあります。
もし遭遇したら、慌てず騒がず、ゆっくり距離を取ることが大事です。
ちなみに、ヒグマは時速60kmで走れます。
叫ぶ・脱兎の如く逃走!…は、間違いなく追いつかれてガブられますので、くれぐれもご注意ください。
野生熊の恐ろしさ、日本史上最大の獣害被害となった【三毛別羆事件】について、知っていただけたら恐悦至極にございます。
もっと詳しく事件の内容を知りたいなら、ノンフィクション本『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』がオススメです。
私は本屋さんで購入し、読了しました。
凄惨な現場の臨場感と迫力がハンパなく、思わずのめり込むドキュメンタリー小説となっています。
あのとき何があったのか。
ヒグマによる獣害とは何か。
生存者から聞き得た証言を元に、熊VS人間の緊迫した攻防の一部始終。
気になる方は、ぜひお手元にどうぞ↓
千葉真一氏の初監督作・真田広之氏が主演。
三毛別羆事件から創作した、アクションスリラー映画についてもお届けしております↓
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