目に見える美しい王室衣装と、目に見えない醜い人間模様を描いた韓国映画【尚衣院-サンイウォン-】
李氏朝鮮時代に実在した王室衣装部が舞台ですが、そもそもあんな衣装部署作ったのは誰なのさ。
…ということで「REONさんの尚衣院の時代背景」をお届けします。
そもそも尚衣院を設立したのは誰?
映画【尚衣院-サンイウォン-】の舞台となる尚衣院は、李氏朝鮮王朝時代にのみ実在した施設。
創設したのは李氏朝鮮初代国王、李成桂(イ・ソンゲ/1392年〜1398年)です。
李成桂って太祖とも呼ばれてるよね?
高麗王の王建(918年〜943年)も、中国・北宋の趙匡胤(960年〜976年)も中国・明の朱元璋(1368年〜1398年)も太祖って呼ばれてるがな。
太祖は廟号といって、中国や朝鮮半島、ベトナムなどで国や王朝を建国した初代国王が亡くなったときに用いる称号。要は国のトップの錚々たるメンバーのお墓を並べたときに、各王を讃えながら区別するための呼び名ですね。
実は歴史上に「太祖」と呼ばれる歴代王は総勢28名いらっしゃいます。ほぼ中国の国王ばかりですけどね。
朝鮮半島で「太祖」という廟号の建国者はこんなメンツになってます。
- 金官伽倻の太祖(金首露/在位42年〜199年)
- 高句麗の太祖大王(高宮/在位53年〜146年)
- 高麗の太祖(王建/在位918年〜943年)
- 朝鮮の太祖(李成桂/在位1392年〜1398年)
その他、建国者以外の王の場合は「漢字一字+宗or祖」の廟号ということになっていて、「◯宗」「◯祖」もけっこうダブって使われてます。
わりと紛らわしいんだね。
でも「朝鮮の」太祖は李成桂しかいないから、国と時代をなんとなくでも把握してれば判別は付くな。
まぁそれより何より紛らわしいのは、中国と朝鮮の当時の衣装 。見分けがつかないくらい似ています。
おぅ…中国と朝鮮の王衣、ほぼ丸かぶり。
もともと李氏朝鮮の前身である高麗は、中国・元の属国だったしな。それに太祖・李成桂も元の武官から高麗の武官になった人物だ。
- 元末期1351年に、大陸内では農民反乱(紅巾の乱)が起こっていた
- 元が衰退し、中国では新たに明が建国
- この混乱に乗じて高麗は元から独立しようと企んでいた
- 当時、高麗武官として台頭していた李成桂はクーデターを起こした
- 高麗を乗っ取って王朝を建国
中国は元から明に代わり、朝鮮半島の指導権も明に代わりました。明に忠誠を誓いながらも独自の文化発展の一環として、太祖・李成桂は王室専属衣装部署「尚衣院」を作ったんです。
でもなんで「王室専属」だけ衣装部署作ったの。
あれだ。セレブの服を真似してファッションの流行が起こる現代みたいに、宮殿内の王室衣装は民の衣服にも影響を与えてたからだな。
こうして尚衣院は新たな王朝とともに新たな文化、新たな流行の最先端を担う場所として、その後500年間に渡って重要な役割を担っていました。
しかし李氏朝鮮王朝が大韓帝国に代わる頃の1895年には尚衣司(サンイサ)、さらに1905年には尚方司(サンバンサ)と名称も変更。
次第に規模も縮小され、いまでは「そういやそんなのもあったような気がする」という程度に名前が残るだけになったんです。
映画に出てくる王は誰?
【登場人物紹介④】そのため王座に就くと前王に仕えていた役人を全員追い出したが、子供の頃から服を作ってもらっていたドルソクだけは残した。しかし王妃がゴンジンを入宮させると、ドルソクよりゴンジンの服にひかれるようになる。 pic.twitter.com/gbtxkqNEKB
— 映画『尚衣院 -サンイウォン-』 (@saniwon) October 9, 2015
王朝とともに誕生し王朝とともに消えていった尚衣院。とにかく長い歴史があり、その間の李氏朝鮮王も26人いらっしゃいました。
じゃぁ結局映画【尚衣院-サンイウォン-】はいつ頃の話なの?というのも気になるところ。おそらくは仁祖以降の李氏朝鮮時代の辺りのお話かと思います。
なんで仁祖以降?
あぁ。劇中の設定でこんなところにヒントが隠されてるからかな。
- 清からの使節団歓迎の宴で着る王妃の衣装をめぐる新旧デザイナー対決
- ということは、李朝の中でも清国の支配下に置かれた頃
- 李氏朝鮮が清の朝貢国だったのは1637年〜1894年辺り
- その辺りで在位していた王は11人
ならば11人の国王のうち一体誰なのか。それは歴代国王の史実に基づいた人物像を覗き見すると「この王がモチーフかも」という方がいらっしゃいました。
仁祖(インジョ)/在位1623年〜1649年
- 明を信奉し、後金(後の清)に反する政策を取った
- 明滅亡後に大国となった清に服従を余儀なくされた
孝宗(ヒョジョン)/在位1649年〜1659年
- 清への臣下の礼の恥辱を晴らすべく軍備拡大
- 逆に軍力を買われ、対ロシアの清軍に参加することに
顕宗(ヒョンジョン)在位/1659年〜1674年
- 孝宗は仁祖の次男であり王世子として兄の嫡男もいた
- 官僚の派閥争いの中で王に擁立させられた
粛宗(スクチョン)/在位1674年〜1720年
- 官吏の派閥争いが最も激化、政治論争が絶えなかった
- 換局(政党入れ替え)を3度行い、王権を強化
景宗(キョンジョン)/在位1720年〜1724年
- 粛宗の側室の子だが、聡明なことから3歳で世子に
- 中殿になった母が刑死。鬱症を患い身体も弱く、子を望めぬ身体だった
- 在位は30歳からの4年間と短期間で急逝
英祖(ヨンジョ)/在位1724年〜1776年
- 兄王景宗と異母兄弟
- 生母は王宮内の女官だったため、蔑視を受けながら育った
- 先王急逝で擁立され、王妃との間に子がいなかった(後妃や側室との間に子をもうけた)
正祖(チョンジョ)/在位1776年〜1800年
- 英祖の次男で罪人として処刑された思悼世子の次男
- 父の復讐も兼ね、能力ある人材登用に努めた
純祖(スンジョ)/在位1800年〜1834年
- 元は純宗(スンジョン)という名だったがのちに改名
- 正祖の次男で、兄世子が5歳で夭折したため王位継承
憲宗(ホンジョン)/在位1834年〜1849年
- 8歳で即位し、純祖の妃である純元王后が摂政
- 身分制度の崩壊が始まり、さらに天災で民の貧困が加速
哲宗(チョルジョン)/在位1849年〜1863年
- 英祖の次男、思悼世子の曽孫
- 先王憲宗に子女はいたが子息がいなかったため即位
高宗(ゴジョン)/在位1863年〜1897年
- 英祖の次男、思悼世子の三男・恩信君の養子
- 後の大韓帝国初代皇帝
けっこうどの国王も波乱万丈な生き様なんだね。
中でも映画の設定に近しい人物が「英祖」だな。
英祖と思った理由
ざっくりとですが、こうして清と密接な関係にあった頃に在位した歴代国王のなかで、最も映画【尚衣院-サンイウォン-】の王に近い人物像が「英祖」です。
- 先王急逝で即位した王は英祖・純祖・憲宗
- 純祖も憲宗も幼くして王に擁立され、即位後は王妃による摂政
- 特に英祖は生母の身分のことで、ぞんざいな扱いを受け育った
じゃぁ王妃は英祖の正室だった人物がモチーフ?
英祖の最初の妻で、子も授からず長年連れ添った「貞聖王后」だな。
のちに英祖は貞聖王后亡き後、貞純王后という後妃を迎えています。が英祖66歳、貞純王后15歳というかなりの年の差婚。
親子ほど歳の離れたどころか、完全におじいちゃんと孫。それでもお世継ぎをもうけているので、なんというか…英祖グッジョブ(笑)
映画【尚衣院-サンイウォン-】では最初の王妃であり、子を授からなかった王妃の姿が描かれているので、貞純王后ではなく貞聖王后の人物像が反映されてるということになりますね。
【登場人物紹介③】続き> 政敵の陰謀によって王妃の座を追われそうになるが、ゴンジンの服にパワーをもらって屈することなく闘い、王の寵愛をも得ようとする。 #尚衣院 #サンイウォン pic.twitter.com/rCJ0Ho3kGk
— 映画『尚衣院 -サンイウォン-』 (@saniwon) September 18, 2015
史実というわけではありませんが、息を飲むほど美しい朝鮮民族衣装や人間の醜さなど、魂が震える映画【尚衣院-サンイウォン-】の大まかなあらすじやキャストについてはこちらをどうぞ。
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