1983年。オランダ・アムステルダムで起こったハイネケン誘拐事件。
身代金の被害こそ莫大だったものの、誰一人として命を落とすことなく解決しています。
狙われたフレディ・ハイネケン氏はどんな人物だったのか。
事件を起こした犯人グループ5人はその後どうなったのか。
…ということで「REONさんのあの人は今」をお届けします。
3代目会長はダテじゃない
身代金目的で誘拐された…という、とんでもない経歴で歴史に名を残すことになったフレディ・ハイネケン氏。
事件は1983年11月初めに起こり、3週間の監禁ののちに警官隊によって発見・保護され、無事に解放されました。
その数日後のお写真がこちら↓
左側が3代目会長フレディ・ハイネケン氏。右側の男性は、とばっちりで一緒に誘拐された運転手アド氏です。
お二方とも特に暴行を加えられることもなく、激しい衰弱に見舞われることもなく。
ご無事で何より、一件落着と相成りました。
…っていうか、なんで『誘拐』だなんて命の危機もある局面に置かれたのに。
…大して取り乱すことなく、若者犯人グループを翻弄できたんだろうな。
そこにはフレディ・ハイネケン氏の泥臭く這い上がったサクセスストーリーがあったからかなと思います。
そう。3代目会長は巨大企業一族に生まれ、なるべくしてなった跡取りのボンボンではなかったんです。
フレディ・ハイネケン氏は苦労人
1923年 11月 4日にアムステルダムで生まれたフレディ氏。
彼は醸造酒メーカー・ハイネケン創設者ジェラルド・ハイネケン氏のお孫さんです。
もう生まれながらにして大富豪!御曹司!
トントン拍子で大企業の跡取り街道真っしぐらとか、羨ましいよな。
…かというと、全くもってそんなことはございません。
実はハイネケン社、創設側と経営側でゴチャゴチャしてたのか、ハイネケン家に会社経営権がありませんでした。
- 祖父ジェラルド氏が作ったにもかかわらず、経営から撤退させられた
- 一族はハイネケン株の保有もなし
- フレディ氏は18歳でハイネケン社に平社員として入社
…え。御曹司なのにただの平社員?
…しかもアメリカに左遷されたらしい。
ハイネケン社の拠点はオランダ・アムステルダム。さらに世界各国に支店や工場なんかもありました。
経営側としては、会社創設者一族とひと目で分かるフレディ『ハイネケン』氏は、たとえヒラでも若干どころかえらい目障りです。
- ライバルとなる『バドワイザー』など大手酒造メーカーがある米国市場に島流し
- ハイネケンはオランダNo.1ビールだが、競合の多い米国では営業成績不振の可能性が
- ところがフレディ氏は米国で、CMなどの広告媒体でビールを売るという手法を学んだ
おぅ…。厳しい状況に置かれても…
…そこで出来る最大限の努力を惜しまなかったんだな。
会社の中でも米国でも、いわば周りは敵だらけ。
そんな状況でもひたすらコツコツ学べることは学んで実践 。そして少しずつ売り上げを伸ばし、ハイネケン株を買い戻していきました。
- 入社12年目・30歳で筆頭株主に
- 経営権を奪取し、48歳のときにハイネケン3代目CEOに就任
こうして逆境に負けることなく地道な努力が実を結び、ハイネケン社は創設者一族の元サヤに収まることに。
そして3代目会長になってから12年後、60歳のときにあの誘拐事件に巻き込まれました。
動じることなく犯人グループと渡り合えたのは、若い頃からどんな状況でも出来ることを見極めて行動する…という人生経験をしてきたからかなと思います。
事件のピンチをビジネスチャンスに
フレディ氏は事件後、誘拐されたという経験すらもビジネス面で活かすという手腕を発揮しています。
- 世界中を震撼させた事件であり、フレディ氏は一躍有名人
- しかも元気に生きて解放されたという生き証人
- 『誘拐』から生還した経験者だからこそ、警備の重要性に注目
- …ということで、警備会社を設立
『あのハイネケン氏』の警備会社なら…
どんなピンチも大丈夫!ってことになりそうだな。
なかなかどうして、真の大物感しかありません(笑)
過去のどんな教訓もビジネスに結びつけて、ピンチからチャンスを生み出す手腕がすごいですね。
そんな豪傑フレディ・ハイネケン氏は2002年、78歳で波瀾万丈の生涯に幕をおろしました。
私はいつも外国銘柄のビールはコロナしか飲まないんですが、たまにはハイネケンでも飲んでフレディ氏を偲びたいと思います(←あくまでたまに笑)
犯人どもの夢の跡
さて、ただの大富豪・ただの御曹司じゃなかったフレディ・ハイネケン氏を誘拐した犯人ども。
カモるつもりが逆にカモられたような形となり、まんまと全員とっ捕まりました。
5人中、4人のお写真しか発見できなかったんですが、実際の犯人グループの面々がこちら↓
へぇ…。ダイナミックな誘拐事件を起こした割には…。
案外普通の青年たちだな。
映画【ハイネケン誘拐の代償】でも、犯罪歴のない心優しい素人集団という描写になっています。
実は昔からワルだった!
写真で見る限りでは、まぁまぁ普通の一般人な犯人たち。
ところがどっこい、よくよく調べるとティーンエイジャーの頃からイケイケのヤンチャっぷりを発揮していました。
- 1970年代から、すでに4人でギャング団を結成(←まだ10代半ば)
- 1974年、郵便銀行局強盗襲撃事件を起こし、アクション映画ばりに運河をボートで逃走(←逮捕には至らず)
- 他にも不法移民・不法占拠者を手荒く追い出す地上げ屋の下っ端みたいなことも
- 裏稼業に片足突っ込み、10代後半には多額の金銭を荒稼ぎ
- ゲスい稼ぎで高級車を乗り回し、カフェやレストランの経営にも乗り出していた
- …が、不況で倒産が相次ぎ、新たにガテン系人材派遣会社を設立
- 高額なバックマージンでやっぱり荒稼いでいた
うぉーー!ワルだ!極悪小僧め!
…チャレンジ精神だけは旺盛だな。
そんな彼らが新たにチャレンジした荒稼ぎ方法が、フレディ・ハイネケン氏の誘拐事件。
- 1977年に、戦後初めて企業人を対象とした誘拐事件が発生
- 身代金と引き換えに釈放…という荒稼ぎ方法を知る
- これをヒントに1981年から誘拐事件を計画し、1983年に実行に移した
しかし誘拐対象のフレディ・ハイネケン氏のほうが、人生経験もビジネス手腕も一枚も二枚もうわて。
一説では、フレディ氏の執念と財力が全員逮捕に繋がったのでは?とも囁かれています。
犯人グループ5人のその後
犯人グループは一人残らず逮捕され、しっかり懲役刑を喰らって各々服役いたしました。
…が、性根が腐ってるのか、その後も相変わらずの悪党人生 。
ハイネケン誘拐事件で逮捕された順に、犯人どもの成れの果てをどうぞ。
犯人その① ヤン・ブラート
誘拐事件後、ほぼすぐ逮捕されたのがヤン・ブラート。当時31歳の犯人グループ最年長メンバーです。
- 懲役12年を喰らうも、服役から2年後に脱獄
- …したはいいが、30分後に再び取っ捕まって収監
- 刑期が短縮され、1991年に釈放
- その後、違法薬物密輸に関与
- 1994年空港税務官を射殺し、殺人罪で懲役20年(←求刑は終身刑だった)
- またもや刑期短縮され、2007年に釈放
誘拐事件のあとも、薬物密輸に殺人て(汗)
結局2度の服役人生送ったんだな。
2007年以降は更生しつつあるのか、2019年10月に過去の犯罪歴を記した暴露本を執筆・出版予定。
…でしたが、原稿の取り消しを行なった模様。
逮捕までは至らなかった70年代・80年代の強盗事件への関与を認める内容にもなっていて、「やっぱ、出版するのやーめた」ということのようです。
犯人その② マーティン・エルカンプス
2番目に逮捕されたのは、主犯格コルの異母弟マーティン・エルカンプス。
事件当時はまだ20歳の最年少でした。
- コル・ヴァン・ハウトの嘆願や誘拐事件関与の薄さから、懲役8年
- 出所後は違法ハーブ所持で再逮捕。1994年に39カ月の実刑判決
余罪、やっぱ薬物系とかなんだ。
あとは不動産詐欺にも関わってたっぽい。
犯罪疑惑はちょいちょいあるものの、その他の逮捕歴はないようです。
あぁ、でも2003年ごろ、誘拐事件主犯格ヴィレム・ホーレーダーと揉めて袋叩きにされるという被害に遭っています。
犯人その③ フランク・メイヤー
3人目の逮捕者は、事件を起こした1983年の年末、12月28日に自首してきたフランク・メイヤー。
ただし身柄拘束時に身代金に火を放つなど、精神疾患の疑いで病院送りになりました。
- 1985年、精神医学検査に向かう途中で逃走し、行方不明に
- 1994年、パラグアイ潜伏がバレた(←犯罪ジャーナリストのお手柄)
- 偽名を使い、現地で結婚・3人の子供とレストラン経営していた
- 1995年、ハイネケン誘拐事件の罪でパラグアイにて再逮捕
- …されるも、移送手続き不備で数週間後に釈放
- 1998年再逮捕に至るが、犯罪者引き渡し裁判が長くことに
- 2002年、ようやく身柄がオランダに引き渡され服役
- 2005年には釈放され、妻子の待つパラグアイへと帰っていった
…なんだこの紆余曲折っぷりは。
…だな。ただ、大きな再犯はなさげか?
どうやら誘拐事件後キリスト教に改宗したらしく、罪を悔い改めた模様。
…と思ったら、2018年になにやら銃撃事件を起こしています。
しかも帰ったはずのパラグアイではなく、オランダ・アムステルダムで。
息子とともに、犯罪への関与が疑われ中です。
参照オランダ放送財団
犯人その④ コル・ヴァン・ハウト
コルはもう一人の主犯格ヴィレムとともにすぐにパリへと逃亡。
…が、翌年1984年2月にフランス警官隊に包囲され、身柄を拘束されました。
- 誘拐犯罪者の司法取り引き制度がなかったので、とりあえずパリのホテルで監視・拘束
- その後、カリブ海サン・マルタン島に移送・逮捕(←半分オランダ領・半分フランス領のため)
- 懲役11年。刑期が短縮され1991年に釈放
- すぐに売春業界を牛耳るギャング団を結成。刑事事件が絶えず
- 大がかりな犯罪組織トップになるも、2003年に暗殺された
…え?あ、暗殺!?
…あぁ。今はアムステルダムの墓地で眠ってる。
未だ見つかっていないフレディ・ハイネケン氏誘拐事件の巨額の身代金の一部。
それを資金に極悪街道を突っ走ったと言われています。
しかし結果的には暗殺され、義兄弟ヴィレムの手で抹殺されたという疑いが濃厚です。
犯人その⑤ ヴィレム・ホーレーダー
コルはヴィレムの姉と、ヴィレムはコルの妹と結婚し、お互い義兄弟同士です。
そんな姻戚関係もあり、犯人メンバーの中でもひときわ親密な関係。
加えてヴィレムに潜伏先のアテがあったので、2人で仲良く一緒にパリに逃亡・仲良く一緒に逮捕に至りました。
- 懲役11年。1992年に釈放
- コルの犯罪組織に加わり、たびたび暴行・恐喝事件を起こす
- 2003年にはコル暗殺の容疑者にもなる(←このときは証拠不十分)
- 2007年には不動産関係仲間の恐喝で、再び9年の懲役刑
- 刑期短縮で2012年に釈放
- その後、2002年〜2006年の間の6件の殺人(←コル暗殺も含む)関与で終身刑に
うぉー。1番の極悪人じゃん。
…実はハイネケン誘拐事件の黒幕は、コルじゃなくてヴィレムじゃないかとも言われ始めてるよ。
結局ヴィレムは1番信頼していた義兄弟コルをも利用して、オランダ・アムステルダムで最大の犯罪組織のトップに君臨。
しかし罪を重ね過ぎて、一生涯塀の中の住人に成り下がりました。
心臓の弁に持病があるようですが、今なお収監中とのことです。
まとめ
1983年に起こった巨額身代金誘拐事件の渦中にいた『あの人』たち。
彼らの人生は、ひどく両極端なものでした。
- フレディ・ハイネケン氏は、地味な努力がいつか大きな糧となると信じて大成した大物
- 犯人グループは楽して大金、と犯罪を繰り返して地に堕ちた極悪人揃い
一攫千金を夢見るのは悪いことではないけれど、せいぜい宝くじに夢を託すくらいした方が良さげですね。
もし今コツコツ頑張っていることがあるのなら、フレディ・ハイネケン氏をお手本に。
もし楽して稼ぎたいと思っても、犯人グループを反面教師に思い出していただけたら、恐悦至極にございます。
実際に起こった1983年の誘拐事件を描いた映画【ハイネケン誘拐の代償】のあらすじ・キャストについてはこちらをどうぞ↓
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