【日本犯罪史】貝尾集落の大虐殺。津山事件または津山三十人殺しとは?

雑学

世界の犯罪史上でも、類稀なる大量虐殺。

2時間足らずの間に、村人30人の内臓が飛び散った凄惨な事件がありました。

1938年、日本を震撼させた津山事件もしくは津山三十人殺しについてお届けします。

 

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村人を襲った恐怖の一夜

時は1938年5月21日、夜半すぎ。

岡山県苫田郡西加茂村大字行重にある貝尾集落にて、村人30人が惨殺される事件が起こります。

動機はひどく短絡的。

自分を蔑ろにした村人や、関係を持った女性たちに対する逆恨みの復讐です。

 

  • 犯人は、この村人に住む青年・都井睦雄(21)
  • 犯行時刻は村人が寝静まった深夜1時すぎ
  • 事前に村の送電線を切断し、辺りは真っ暗闇
  • 不意をつかれた村人は、為す術もなく血祭りに
  • わずか2時間足らずで28名が即死
  • 重傷者は5名。うち2名が数時間後に死亡

 

かつてない凄惨な事件となった睦男の襲撃は、その武装からしてかなり異様な有り様でした。

まず頭の鉢巻きには2本の懐中電灯をくくりつけ、首からは自転車用のナショナルランプ。

これで睦雄ただひとり、真っ暗闇もへっちゃらチャラです。

さらに腰には日本刀と小刀を二振り、改造した9連発ブローニング猟銃を携え、肩掛け鞄の中には100発以上の銃弾も。

睦雄はこの完全武装を1年ほど前から入念に準備し、計画的に村人惨殺の犯行に及んだ のです。

貝尾・坂元集落の11軒、計30人が犠牲に

まず初めに犠牲となったのは、睦雄と同居する祖母。

家にあった斧を片手に、睦雄はぐっすり眠る祖母の首を切り落とすという凶行に及びます。

これを皮切りに、ご近所11軒の家を次々と襲撃。

それはそれは血生臭い、鬼の所業の始まりです。

1軒目 岸田勝之宅 (4名)

祖母の首を切り落とし、自分を鼓舞した睦雄が次に向かったのは、家からすぐの北西にある岸田勝之宅。

家主の勝之はすでに亡く、未亡人・つきよと幼い3人の子供たちが犠牲に。

特につきよは刀で首と胸、口の中を刺し貫かれて殺害されるという酷い最期を遂げています。

2軒目 西川秀司宅 (4名)

1軒目のお隣りをすっ飛ばし、睦雄が次に向かったのは西川秀司宅

寝ていた秀司とその妻・一人娘・住み込みの女性の4人が犠牲となり、西川家は一家全滅となりました。

3軒目 岸田高二宅 (3名)

3軒目は1軒目のすぐ隣り、岸田高二宅。

ここでは家主の高二・内縁の妻・甥っ子の3人が死亡。

同居していた高二の母も重傷を負いますが、一命を取り留めています。

4軒目 寺井政一宅 (5名)

4軒目は、2軒目西川宅のお隣り・寺井政一宅。

睦雄は手近な民家をしらみつぶしに襲撃せず、行ったり来たりジグザクにお宅訪問していきます。

おかげで銃声はあちこちで鳴り響き、4軒目襲撃の頃には集落の異変に気付く村人も。

ただ睦雄にとっては皆が目覚めようが逃げようが、そんなの関係ねぇ。

…ということで、寺井家に侵入するやいなや家主の政一・息子の貞一・貞一の妻・政一の娘2人の計5人を銃殺。

屋外へ逃げ惑う5人を執拗に追い、とどめを刺しています。

…が、政一の娘で睦雄の想い人・ゆり子だけは何とか逃走。

今や愛情よりも憎悪が勝るゆり子を追って、睦雄は次なるお宅に乗り込むことになりました。

5軒目 寺井茂吉宅 (1名)

5軒目となったのは、睦雄の家のお向かいさん・寺井茂吉宅

ゆり子が逃げ込んだ寺井の本家です。

異変に気付いた家主の茂吉は、母屋の畳の下にむしろを敷いてゆり子を匿い、さらに戸締りも強化。

母屋に侵入できず苛立った睦雄は、隣の離れで寝ていた茂吉の父・孝四郎に照準をチェンジします。

ところがこの孝四郎じいさま、御歳86歳にして素手で睦雄に反撃を開始。

焦った睦雄は日本刀で応戦するも、孝四郎じいさまは左手で刃を掴んで動きを止め、2人は凄まじい格闘に。

ついに孝四郎じいさまは、胸と心臓部に2発の銃弾を喰らって命尽きますが、最後の最期まで抵抗し続けたそうな。

実は睦雄はこの寺井本家を襲うつもりも、孝四郎じいさまを殺すつもりもありませんでした。

特に孝四郎じいさまは睦雄の将来を心配してくれた、良き相談者だった恩人です。

ならばなぜに寺井本家を襲ったのか。

それは4軒目の寺井政一の娘、ゆり子が逃げ込んだから。

寺井茂吉宅は5人が助かるものの、成り行きで孝四郎じいさま1人が犠牲になりました。

6軒目 寺井好二宅 (2名)

寺井本家でゆり子を仕留め損ねた睦雄は、ゆり子殺害を諦めて集落の南西のお宅へ。

6軒目に襲われたのは、寺井好二宅です。

家主の好二(22)とその母・トヨ(45)の2名は、就寝中に銃弾を浴びて即死。

睦雄はこの家の母親・トヨに金銭を払って肉体関係を結んでいました。

…が、トヨが集落の金持ち男性に鞍替えし、捨てられたことを恨んでの凶行となりました。

7軒目 寺井千吉宅 (3名)

7軒目は、養蚕業を営む寺井千吉宅。

事件のあった5月は蚕を育てる最盛期で、母屋には家主の千吉ら5人が、養蚕室には3人のお手伝いが就寝中でした。

計8人がいた千吉宅で、睦雄の凶弾に倒れたのは3人の女性

まずひとりは、養蚕の手伝いに来ていた岸田みさ。1軒目の被害者・つきよの娘です。

睦雄はみさに夜這いを断られた過去があり、その腹いせにズドン。

もうひとりは、睦雄が惚れたゆり子の元夫・丹羽卯一の妹つる代。

ゆり子と結婚した卯一が憎たらしいから、妹も同罪じゃ…という、完全なとばっちりでズドンされました。

さらにもうひとり、千吉の内縁の妻・とらは、養蚕室で寝ていただけなのに銃弾を浴びてお亡くなりに。

睦雄はその後、母屋にも侵入して家主の千吉の首に銃口をあてるも、千吉はただ呆然とするだけ。

睦雄は「お前はワシの悪口言わんかったから、殺すのは堪えてやろう」と捨て台詞を放ち、千吉を殺さず見逃しています。

8軒目 丹羽卯一宅 (2名)

8軒目は、睦雄の家のすぐ隣・丹羽卯一宅

睦雄が惚れたゆり子の嫁ぎ先で、すでに離婚しているにも関わらず襲われました。

理由は簡単、「ワシのゆり子を奪いおって(怒)」というワケワカメな難癖。

そんな理由で丹羽家に乗り込んだ睦雄は、その場にいた卯一の母親と妹の2人に銃弾を何発もお見舞い。

妹は即死、母親は右太腿と左太腿にそれぞれ銃弾を撃ち込まれ、事件から6時間後に出血多量で苦しみながら亡くなりました。

ゆり子の元夫である家主の卯一はというと、村の惨状を察知して警察に通報するため外出。

この事件の第一通報者となり、難を逃れています。

9軒目 池沢末男宅 (4名)

9軒目は、集落の北にある池沢末男宅。

家主の末男とその妻・3人の幼い息子・末男の両親、あわせて7人が寝ていたところ、睦雄の襲撃が。

ただ、睦雄のターゲットはこの一家ではなく、末男の妹ただひとり。

睦雄と肉体関係がありながら、ちょくちょく馬鹿にするマツ子が狙いだったものの、肝心のマツ子がおりません。

マツ子は何処?というと、事件以前から睦雄に脅されており、危機を感じて京都に避難。襲撃を免れます。

おかげでマツ子の身代わりとして、爆睡していた末男の次男・三男以外の5人が蜂の巣に。

末男は竹藪に逃げ込んで擦り傷ですんだものの、末男の妻・四男・末男の両親の4人が即死。

中でもまだ5歳だった四男は、小さな身体に3発もの銃弾が撃ち込まれ、肝臓や大小腸がデロンと露出。

何の罪もない幼子までもが、無惨な死に様を迎えることになりました。

10軒目 寺井倉一宅  (1名)

10軒目は、村の分限者・有力者だった寺井倉一宅。

家主の倉一は村の多くの女性と肉体関係を持ち、睦雄はそれを激しく嫉妬。相当な恨みを倉一に抱いておりました。

そんな睦雄の邪な思惑を予想していたのか、倉一の妻は雨戸を閉めて睦雄の侵入を阻止。

それでも睦雄は構わず猟銃をぶっ放し、たまたま倉一の妻の腕に命中してしまいます。

右腕の動脈を傷つけられた倉一の妻は、出血多量で12時間後に死亡。

恨みつらみの倉一はというと、母屋の2階に隠れて無傷で生き残り、昭和後半まで天寿をまっとうする人生を送りました。

11軒目 岡本和夫宅 (2名)

11軒目は貝尾集落の隣、坂元集落の岡本和夫宅。

家主の和夫は51歳、その妻みよは32歳と歳の差夫婦だったこの2人。

睦雄は幾度となく妻みよと肉体関係を結んでおり、それが夫の和夫にバレてさぁ大変。

和夫は妻の行動を逐一監視、みよも次第に睦雄を冷たくあしらうようになっていきます。

人妻に手を出しておきながら睦雄は夫婦を深く恨み、貝尾集落の異変を知らずに熟睡していた2人を射殺。

睦雄の大量虐殺劇は、ここで幕を下ろすことになります。

犯行後の睦雄の行動

引用:wikipedia 津山事件

およそ1時間半ほどで村人30人を死に追いやった睦雄。

犯行を終えた彼は、坂元集落の隣・樽井集落で1軒の民家に立ち寄ります。

 

  • 訪れたのは、睦雄と顔見知りの子供のお宅
  • 襲撃しに…ではなく、紙と鉛筆を調達するため
  • 子供から紙も鉛筆も譲り受けた睦雄は、去り際にひとこと
  • 「うんと勉強して偉くなれよ」
  • そう言い残し、返り血を浴びた姿のまま静かに立ち去っていった

 

睦雄はこのお宅訪問を最後に、山道を北へと逃亡。

午前3時過ぎにその姿が目撃されるも、捕まることなく荒坂峠へと向かいます。

そうして少し開けた場所に出た睦雄は、譲ってもらった紙に鉛筆で遺書をしたため、所持品を丁寧に地面に陳列。

着ていた服のボタンを外し、凶器となったブローニング銃の銃口を心臓にあて、足の指で引き金を引き自決したのです。

睦雄の遺体は翌朝の山狩りで発見され、死亡推定時刻は午前5時ごろ。即死と断定されました。

こうして鬼の所業とも思える貝尾集落の虐殺事件は、犠牲死亡者30名・犯人も死亡という救いのない結末を迎えます。

事件の起きた岡山県苫田郡西加茂村大字行は、現在の津山市加茂町行重であることから「津山事件」と呼ばれるように。

また、犠牲死亡者の多さを併せて「津山三十人殺し」、もしくは犯人の名前から「都井睦雄事件」とも呼ばれています。

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事件を起こした都井睦男の人となり

犯罪史上、最悪と称される津山事件。

暴力的で猟奇的、凄惨な虐殺劇を繰り広げた都井睦雄は、犯罪を犯すような荒くれ者ではありませんでした。

 

  • 睦雄の祖父は、貝尾よりさらに奥の倉見集落の名主
  • 山をいくつも所有する大富豪で、睦雄の父はその後継ぎ
  • ただ、父は睦雄が2歳の時に、母も睦雄が3歳の頃に肺結核で他界
  • 残された睦雄と姉は、祖母が後見人となって暮らすことに

 

元々は、かなり裕福な地主のお坊ちゃんだった睦雄。

両親を亡くして祖母と暮らし始め、しばらく経ったある日のこと。

突然、自宅のあった倉見から追い出されてしまいます。

 

  • 実は睦雄の両親だけでなく、祖父も肺結核で他界
  • 都井家の遺産を祖父の弟や親族が勝手に相続
  • 直系の睦雄が貰えたのは、少しの田畑と山林のみ
  • これはいわば手切れ金。ロウガイスジは他所へ行け

 

ロウガイスジとは、労咳・結核で亡くなりやすい家系のこと。

祖父・父・母を立て続けに結核で亡くした睦雄は、死に直結する病の血筋として忌み嫌われるようになってしまったのです。

 

  • 睦雄・姉・祖母の3人は、ロウガイスジの烙印を押されて倉見から放逐
  • ただ、祖母は睦雄の父とは血の繋がらない後妻
  • つまり睦雄とも睦雄の姉とも血縁関係はない
  • …が、祖母は2人を連れて故郷の貝尾に身を寄せた

 

貝尾に越した3人の生活は、次第に苦しくなる一方です。

ついには遺産として相続した、わずかな倉見の土地を売却しなければならなくなります。

「都井の土地は本家が買い取る」

そう言って睦雄が受け継いだ倉見の土地を、都井本家を継いだ叔父一族が安く買い叩くことに。

この時、睦雄は御歳18歳。

心優しい優等生に育ったものの、生まれ故郷の倉見のこと・両親や祖父の悲劇・親戚の悪どい相続を知り、心が歪んでしまいます。

やがて睦雄は貝尾で奇行をしでかすようになり、性に目覚めて女性に夜這いをすることも。

さらにこのあと、睦雄の人生を大きく狂わせる出来事にも遭遇してしまうのです。

女性と結核と怨念と

相続した倉見の土地を手放すまで、睦雄はそれはそれは勉強のできる優秀な青年でした。

優しくて真面目で秀才。

そんな睦雄は女性からもモテモテで、少し貧しいながらも幸せな日々を過ごしておりました。

 

  • 睦雄は高等小学校時代、1学年下の女学生に初恋
  • 彼女の肖像画を描き、「あなたが好きです」と告白も
  • ただ、その肖像画は睦雄の姉によく似ている
  • じつは睦雄は3つ上の姉に恋心を抱いていた節がある

 

ごく普通に色恋沙汰の浮き名もあった睦雄は、倉見の一件から恋愛感が激変。

姉への恋心の延長かのように、いつしか年上女性にひどく執着するようになってしまいます。

 

  • 睦雄はあっちの人妻、こっちの人妻の元へちょくちょく夜這い
  • …だけでなく、未婚の女性とも肉体関係に
  • ところが睦雄の人生が大きく狂う事態が発生
  • 徴兵検査で肺結核と診断。出征はおろか差別されるように

 

時代は奇しくも日中戦争真っ只中の昭和初期。

お国のために散ることこそが「男」と認められるご時世に、二十歳になった睦雄は不治の病を患ってしまったのです。

 

  • 当時、結核は「死の病」として差別された
  • おかげで夜這い女性たちはことごとく睦雄を拒絶
  • 集落全体にも知れ渡り、ひどい屈辱と迫害が
  • 精神的に追い詰められた睦雄は住民に恨みを抱くように
  • 結結核が悪化してどうせ死ぬなら、この恨み晴らでおくものか

 

元々は、倉見の名主の御曹司。

貝尾に来てからは優しくて優秀な好青年。

女性にはモテモテで、村中の人々からもチヤホヤされていたのに。

あぁ、それなのに…それなのに。

何かがプツンと切れた睦雄は、村人を血祭りにあげることを決意したのです。

 

  • 事件を起こす1年前から準備を開始
  • まず1937年に猟銃免許を取得・散弾銃を入手
  • 翌年、散弾銃を下取りに猛獣用の12口径猟銃をゲット
  • 銃弾や小刀、日本刀などの武器を収集
  • さらに猟銃の撃ち方の特訓を積み、急所狙いの方法も編み出した

 

こうして睦雄はその賢い頭脳をフルに活用し、合理的で計算し尽くされた虐殺劇を考案。

事件の4ヶ月前には想い人である寺井ゆり子に夜這いをかけ、これを断られて決行を決意します。

そうして事件の2ヶ月前には、一度祖母を毒殺せんと薬を盛り、警察沙汰になって武器一式が押収される事態に。

それでも睦雄の恨みは凄まじく、再び武器を集めてあの日あの晩の犯行に及んだのです。

人は負のスパイラルから抜け出せなくなると、想像を絶する行動をしでかします。

不遇な人生を歩み、自分で自分のことも蔑んだ都井睦雄。

彼はあまりにもにも身勝手な理由で、前代未聞の凶行に走った青年に成り下がったというわけです。

 

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まとめ

現在の岡山県津山市の加茂地区から、車で10分ほど緩やかな勾配を上がった先。

都井睦雄によって修羅場と化した貝尾集落は、今もその面影が残る穏やかな場所です。

津山事件は当時、世紀の大事件として報じられました。

号外が出され、新聞やラジオでも大きなニュースになり、少年倶楽部などの少年雑誌でも特集が組まれたほど。

ただ、犯人である都井睦雄が自決したこと・生存者が少なかったことから、その真相は闇の中。

さらに事件の詳細や警察調書など、長らく閲覧禁止になりました。

おかげで戦前最大のミステリーのひとつという扱いに。

どうしてここまで凄惨な事件がはっきりと公にならなかったのか。

それはひとえに、戦時下における国民に与える衝撃が強すぎるからかと思います。

都井睦雄が事件を起こした1938年は、国家総動員法が制定された年。

国が定めた条件に見合う日本男子は、もれなく戦争に行くことが勲章となった年です。

しかも出征兵が、戦地で敵兵を何人殺したかを自慢するような時代。

そんな時代に一介の田舎青年が大量虐殺とは…。

国家としてあるまじき大事件、明るみになれば兵士の士気に影響が出る…。

ということで、あまりの異様さ・残虐さはさておいて、犯人が異常者だったとレッテルを貼って事件はうやむやに。

ただ、戦争が終わってしばらく経った1975年、加茂町史に「都井睦雄事件があった」という記録だけは残されることになりました。

詳細は不明・動機も不明、証言もほぼなし。

簡素な記録のみの事件は再び注目を集めることになり、盛んに再検証されるようになったのです。

1938年、あの日小さな集落で一体何があったのか。

再検証により、ようやくその全貌が見えてきた史上最悪の津山事件。

のちに横溝正史氏の金田一シリーズ「八つ墓村」のモチーフとなり、より事件を詳細に描いた映画《丑三つの村》として映像化もされています。

まさに悪夢、とんでもない日本犯罪を知るきっかけになれば、恐悦至極にございます。

 

津山事件をベースにした映画についてもお届けしております↓

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昭和13年。 ひとつの村を恐怖に陥れた青年がおりました。 身勝手な理由で怨念を募らせ、村人を次々と虐殺。 かつて実際に起こった史上最悪の大量殺人事件を描いた映画【丑三つの村】の世界へとご案内いたします。 この...

 

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